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【前編】一流企業を捨ててドイツへ。ソーセージの本場・ミュンヘンでソーセージ職人になった男の3年間。

古塩祐士さん、食肉加工マイスターをドイツで取得。

 

2019年夏、一人の男がドイツ・ミュンヘンから日本に戻ってきました。

男の名は古塩祐士(26)職業はソーセージ職人。

ソーセージの本場ドイツで修行した食肉加工のゲゼレ(職人)です。

有名大学を卒業後、誰もがうらやむような一流企業での安定した職を捨て、単身でドイツに渡ったのは3年半前のこと。

 

最初から最後まで自分で、美味しいソーセージを作りたい。

古塩を突き動かしたのはソーセージにかける熱い情熱。ドイツの国家資格「ゲゼレ」取得までの3年間の修行、マイスターや職場の仲間との日々はかけがえのない財産になったと言います。ドイツでの3年間の修行中、ドイツと日本の仕事に対する考え方の違いなど振り返っていきます。

 

関西学院大学理工学部を卒業後、日本ハムに入社。

もともとソーセージや食肉に興味があったと言う古塩。工場での勤務が始まると、毎日同じことの繰り返しばかりでした。なぜこうするのかを上司に質問しても「ウィンナーはこういうふうに作るもの。本部から言われた通りにやっていればいい」とそっけない返事が返ってくるばかり。古塩は、「すべてマニュアル通り。自分でなくてもやっていけると感じていた。」と話します。

 

工場で働いているうちに、「ソーセージの本場ドイツに行きたい、最初から最後まで自分でおいしいソーセージを作りたい」という熱は強くなるばかりでした。

そして熱があるうちに、ドイツで「Ausbildung(アウスビルドゥング/職人・職業人訓練)」を受けようと思い立ち、ダヴィンチインターナショナルのドイツ留学プログラムに参加することに決めたと言います。

 

会社を辞める時、親から猛反対された。

一流企業を退職すると親に伝えた時、猛反対された時を振り返って古塩はこう語ります。
やらない後悔はしたくない。真剣にやりたいことがあり、なりたい自分があった。

 

最後は両親ともに、やると決めたらやる古塩を信じドイツに送り出してくれたとか。古塩を動かしたのは最初から最後まで自分で美味しいソーセージを作ること、ただそれだけだったのだろう。

 

ソーセージ・ハムの本場ドイツで、まず驚いたのは種類の多さ

ドイツはソーセージといっても1,500種類ぐらいあるので、そこが日本と全然違います。

 

ソーセージやハムは日本のようにスーパーマーケットで買うのではなく、肉屋へ行き、その肉屋で作るオリジナルソーセージを購入するのがドイツでは当たり前だと話します。

ドイツはパンが主食なので、パンにのせて食べるソーセージだったり、ハムだったり、種類がとても豊富です。

 

 

同じ名前が付いたソーセージでも肉屋ごとにスパイスや味が異なり、独自のレシピを持っていることを説明してくれました。

例えばバイエルン地方のヴァイスヴルストなどは、それぞれのお店にレシピがあり、使う材料は同じですが、使用するスパイスや作り方の違いで、お店によって味が異なります。レシピを学びながら、自分がこういうふうに作りたいと思った場合に、作る工程が予測できるようになりました。

 

ミュンヘンで食肉加工(Metzgerei)の研修を受けた3年間

ドイツの研修制度は、座学で勉強したことを実践で行い、実践したことの理論を座学で勉強する『デュアルシステム』。種類の多いハムやソーセージを作る基礎を学び、そこからさらに自分がつくりたいソーセージをつくるためのノウハウを学んでいきます。学校と現場、理論と実践が結びつき、職人としての技を習得するドイツならではのシステムが人気です。

 

現場での研修はそんなに甘いものではない。

1年目は、言われたことをやる、指示されたことをやるのが精一杯。「ドイツ語もまだ身に付いていないため、専門用語にすぐ反応できない。ドイツ語が『(天から)降ってくる』ように感じました。」と古塩は話す。

1年目は土台作りで、学校で理論を学び、現場では言われた通りに動く。点と線で例えると、1年目は個々の作業が点となって散らばっているような状態だったという古塩。

これをするとどうなるのか、なぜこうするのか、分からないまま行っていました。あっという間に1年が過ぎて行ったように感じました。しかし2年目になると、点と点が線でつながりました。全体の流れがつかめてきました

後編に続きます

この記事を書いた人:井上茉里奈

ツイッターアカウント @JJOMD0428
大学4年在学中 / 動画編集の株式会社GEKIRIN / オウンドメディア編集長 / DMM子会社でインターン→フリーランス校閲者→編集長になりました
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